個別の大学受験 一真塾(コベツノダイガクジュケン)/名古屋市天白区/学ぶ[スマイルマーケット]

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個別の大学受験 一真塾
〒468-0063 愛知県名古屋市天白区音聞山1502音聞ハイツ103号  TEL:052-832-5526
地図  公式HPへ

数3まできちっと教えられる予備校・大手塾はこの名古屋では皆無です。だいたいはそこまで辿りつかずに高3の夏休みごろに瓦解します。一真塾はきちっと教えられます。

個別の大学受験 一真塾

一真塾は予備校・大手の個別塾には無い技術をもっています。 
大学受験の主要教科の中から、予備校・大手塾のとても苦手な教科、つまり数学・英語・物理・化学にしぼって腕を磨き、得意技と為した塾であります。理系科目の勉強が一斉授業・DVDも無く、個別で予習先行が出来る力のある塾です。交通の便の良い所に居を構え、入塾選抜試験で数学・物理・化学・英語がやたら難しく、元から理数の優秀な生徒を集め、日本史・世界史などの周辺科目だけ教えて、難関大学が「取れた、取れた」と喜ぶ輩とは積んでいる性根が違います。ご検討をお願いします。

 塾を始めた当初前は、通ってくださる親御さんの笑顔に支えられていました。当初は、皆がしているのだからと、やはりその当時流行っている勉強方法を中心に、学習計画を立てておりました。予備校が広告で吹聴していた文句も、当時は自覚なく参考にしておったのです。 
 大手塾・予備校が実施する受験対策の内容を申し上げます。誰も解けない入試問題を、講師が授業で鮮やかに解いてみせます。それを見た高校生に「これではいけない、人より先に入試問題だ」と思わせ、入試問題を一斉に解かせ始める訳です。昔も今も変わらぬ光景であります。我々の塾も当初はそれに類する授業をしておりました。 
 しかし一度手を止めて考えねばなりません。出題された難解な問題が、果たして合格者が本番の入試で解けたものだったのか、若しくは、解く必要のあるものだったのか…… その検証は誰もしていません! 大学入試の数学は、難関になればなるほど、合格者の得点率が下がります。阪大でも5、6割です。授業で一生懸命にらめっこする問題が、合格に必要な得点5、6割の中に入っていたか? 解く必要があったか? 答えはこの20年「否」であります。 
 いざ実践の段にまいりまして、評判の学習法と呼ばれる物ほど役に立たないことが多く、当塾も途中で生徒ごとに授業計画を軌道修正することがありました。そうしていく内に、やった気にさせるだけではまずいと途中で気づき、才能のある名大生と一緒に考え、「世間はそう言うが、本当はこうじゃないか」とひとつひとつ直してまいりました。そして今日に至るのが、個別の大学受験 一真塾でございます。 
 たいていのことは理路整然と説明出来るのですが、それは手馴れた講師との間でノウハウを共有出来るというのが限度でございます。親御さんや伸び悩んでいる高校生となりますと、それを理解出来る人はそう多くは無いのであります。蓄積した知恵を部分的に取り出しても理解されることは少ないのです。例えば「こいつ、俺が健康な内に突き飛ばしてやらないと、人生を台無しにするな」と考えて行動をはじめたお父さんを、高校生の息子が理解出来ますかというのと同じでございます。 
 HPの一番上にあるおかしな絵(大学受験は地雷原)は既にご覧になっていると思いますが、あの絵は世の中の現状と、当塾の立ち位置を端的に表したものでございます。勉強と、その目的たる大学は、本来ならば一直線の道筋に連なるものである筈ですが、途中の安全は保障されていません。聞こえは良くてもヒドい目にあう物(大手の夏期講習、根拠不明の参考書など)もそこら中に生えております。それを避けて通るとなると、地雷を右に左に迂回しながら大学に向かわねばなりません。このグニャグニャに曲がった道筋が何故最短コースなのか、皆さんは首を傾げられることと思います。高校生ならなおさらであります。

個別の大学受験 一真塾

 遅れた勉強を取り戻す【補習塾としての顔と進学塾としての顔を持つ個別塾】 
 
 1日3時間程度の時間を勉強にあてると、追いつかなければならない学習範囲が例え1年分積もっていたとしても、中学校の範囲の内容であれば6、7ヶ月の辛抱、小学校の範囲であれば5?6ヵ月の辛抱で済みます。 
 中学2年生が4月1日の時点で、中学1年生で習う数学の内容が全部お釈迦だと判明したとします。中学1年生・2年生の学習範囲を復習するとき、かかる月数は7+7=14 つまり中学校2年生の4月1日から数えて1年2ヵ月後です。これは、中学3年生の6月いっぱいで中2の数学まで完了するということです。中学3年生の数学が終了するのは、そこから更に7ヵ月後。つまり中学3年生の1月いっぱいで中学校の数学が全部終了です。晴れて中学3年生の2月から高校の数学、数1A(数��繊砲貌�譴襪犬磴覆い任垢�� 
 同様に、小学生の場合にも触れます。 
 小学5年生が4月1日の時点で、小学校4年生で習う算数の内容が全滅だと気づいたとします。 
 上の中学生の例と同じ手順で計算をしましょう。6+6=12ヶ月 1年間の辛抱で5年生の勉強が完了します。6年生の算数を終わらせるのは、そこ(6年生の4月)から更に6ヶ月後ですので、6年生の10月いっぱいで小学校6年の勉強が全部終わります。晴れて6年生の11月からは、何の不足も無く中学校の数学を始められるじゃないですか。 
 勿論、当サイト(個別の大学受験一真塾)の項目「鉄は熱いうちに」で挙げた例の如く、こうした効果のある勉強をさせる際は、最初の方の授業行程にかなりばらつきが出ます。以前に解いた問題の復習を疎かにし、そこから授業が一歩も進まないこともあります。そのままその回の授業が終わり、次の回も…であります。ご家庭で勉強を見る場合でも、このもどかしい辛抱さえお母さんがして下されば、その後勉強は順調に進むのであります。 
 お母さん方の悩みを聞いておりますと、この最初のばらつきの部分で諦めている方が多いです。行きつ戻りつしているお母さんもいらっしゃいます。あと少しの辛抱でございます。お母さんは子供に目の前でもたつかれると、居ても立ってもいられない。馬鹿息子には、もったいない、有り難い存在である。しかし、ことこの段に至って手を貸すと、以前と同じ過ちを犯します。学問に対する責任感が出てこない! だからお母さんは辛抱でございます!

 
個別の大学受験 一真塾 個別の大学受験 一真塾
▲高校の数1だけで、これだけの説明がついています。受験生には有り難いのでございます。 ▲高校の物理1Bだけで、これだけの説明がついています。受験生には有り難いのでございます。
基本情報
名前 個別の大学受験 一真塾 (コベツノダイガクジュケン)
住所 〒468-0063 愛知県名古屋市天白区音聞山1502音聞ハイツ103号
電話番号 052-832-5526
定休日 水曜日・土曜日・日曜日
営業時間 17時から22時。
公式HP http://juken1.biz/
メールアドレス yagoto_issinjuku@yahoo.co.jp
最寄り駅
名古屋市営地下鉄名城線 八事 駅
名古屋市営地下鉄鶴舞線 八事 駅
アクセス方法 地下鉄名城線・鶴舞線「八事駅」2番出口(自転車置き場の方)より地上へ徒歩13分。 
市バス「妙見町」または「名古屋大学」から「島田住宅」行き→「八事音聞山」徒歩北70m、地下鉄八事駅まで800m。
駐車場 なし
受験勉強のはじまり(こうやって受験勉強って始まるんです) 「学校の成績が悪いのに、受験がうまくいくはずがない」とお考えですか。 
科目によります。日本史・世界史の場合、基本的に覚えるだけですのでその通りです。しかし英語・数学・物理・化学、この4科目は別です。その辺りの話を、この4科目の勉強法を通して説明いたします。いえ、勉強法ではございません。正確に申さば、受験勉強のスタート地点へのたどり着き方についてです。 
英語・数学・物理・化学の勉強となりますと、はじめは誰もが学校の問題集をこつこつ解き、学校の進度に付いていこうとします。学校に付いていくだけではうまくいかなくなります。学校の授業ですることといえば、まず先生が教科書の範囲をまんべんなくなぞります。生徒はそこから、先生が黒板に書いたことをノートへ忠実に写します。それも文字の色や矢印の太さまで。先生はその内容を復習しろと言いますね。この方針はずっと変わらずに高校3年生まで続きます。 
この結果、生徒が勉強をするために教えてもらった作業は?。黒板の丸写しです。勿論それだけではなく、課題を出し自ら全て添削する先生もおります。では課題添削を受けて生徒が習得した作業は?。指示された範囲の問題を、あらかじめ教わった手順で解くことです。 
この手順をひたすら守って出来ることは暗記です。黒板やプリントで示された模範的解法の暗記です。中には解答の数字そのものを覚えてしまう者も現れます。信じられないかもしれませんが、問題の難易度は違えど「170円の卵を1000円札で購入したおつりは?」という問いに「答えは……830円か。卵と書いてあったら830と書けばいいや。円って部分も間違えたら点がもらえないから注意」とやってちゃんと勉強したつもりの子、意外といます。 
学校での授業中、大事な箇所は先生から覚えるよう言われます。ご承知のとおり、重要な箇所は膨大にあります。テストに出ると宣言してもらえるのはごくごく微量です。他の出題箇所は?。教えてもらえません。 
生徒はこの時点で、暗記しか武器がありません。このまま勉強を続けますと、新しく習った公式・解法・答えを覚えている内は正解が得られ、問題が解けた気になります。しかし人間は忘れる生物です。忘れるとまた最初から覚え直しです。2回やれば2倍の時間がかかる形になります。 
途中でこのおかしさに気づいた生徒は「学校の問題集をやれと言われているがこんなんじゃ身に付かない。ヤバい。何かマシな参考書ないのか。探してみよう」…という形で独自の勉強を始めることとなります。 
人によっては、学校から渡された問題集を1ページ10分の割合でボコボコ解ける人もいます。いるのは事実ですが、そういう特殊な人のレベルに合わせて背伸びする必要はありません。独自に大学受験の勉強を始めた生徒は、模試で成績が良くても学校の成績はあまり良いものではなく、進度の速い高校なら赤点すれすれが普通です。 
塾に通っていても同じです。受験に挑むのなら、苦手で時間のかかる箇所にこそ時間・労力を使うべきです。普段は1時間で30問解ける生徒でも、苦手な範囲では1時間で1問になることはザラにあります。このお話をお聞きになると、親御さんに必ず一度は「そんな計画で受験本番に間に合うのか」とお叱りを受けるところでございます。しかし定着度を無視して進度を優先させますと、1回目では出来たように見えても、その後同じところを何度も間違える様になり、それが雪達磨式に膨れ上がって、そのまま入試でこけます。いい加減に扱う訳には参りません。点の取れない箇所が知識の基本的な部分、平たくいえば、一見簡単にみえる単元であればなおのことです。時間がかかっても理解を最優先し、復習すべきかどうかは自分と正直に向き合ってしっかり決めるべきであります。ペース配分より内容を重要視しなければならないのであります。 
当塾にいらっしゃる前に、あちこちの塾で何もしなくても、手取り足とりで問題を読み、答えを覚えさせられて、それを勉強と思ってきた生徒には少々厳しいお話でございます。こうした生徒は勉強を進める上での「胆力」が欠如しております。大人になるにあたり、自分の子供が感情を抑える練習をしなくてよいのか!。するのならいつするのか!。という問題でございます。中学・高校を逃したらもう無いというのが私の考えです。 
学習塾というのは解説を基に、生徒の理解を促進するよりも、解答作成手順の暗記を強制する、いわばテスト塾が圧倒的大多数でございます。テスト塾への通塾経験者は喜んで問題を解きます。やる気があること自体は殊勝なのですが、そこで得られるのは、先生や問題集の定める手順をそのまま暗記し、目の前の問題にそのまま適用することです。暗記の対象が労力を費やすに値するのか、そして暗記したことを目の前の問題に適用するのが正しいのか一切考える事抜きです。これは学問ではありません。求められるのは、説明を「読み」、それを自分の頭の中で組み合わせ、解答を組み立てる力です。テキストの説明を読む力の有無が、学問を修める上での勝負で問われます。後に述べます議論云々の前段階として確りテキストを読ませなければなりません。 
この事をご理解頂くには相応の努力と時間が必要です。テスト塾における先生への評価で「丁寧で優しい指導」というものがございますが、恐ろしいことにこの言葉の真の意味は「分からない時、勝手にその場で答えを作ってくれるので、理解出来ていなくてもばれず、恥をかかなくてすむ」なのです。上の説明を読んでお分かりの通り、生徒の自習能力をそぎ落とす行為でしかありません。当塾一真塾は、優しい先生などといって人気取りはやっていられないのであります。人間関係は最初が肝心、崖が最初に参ります。その覚悟をお願い致します。 
例えば、 
1) 授業で総ての単元を時間で均等に割り、今日はその内のこの単元が授業という形を採ったなら、見た目には受験が効率よく進んでいるように見えます。しかし理解出来たかどうか関係なく授業が進み、苦手はいつまで経っても苦手で終わります。人それぞれに興味や理解は異なるのですから、分かりやすい箇所はノロノロ、分かりにくい箇所は駆け足という事態が容易に生じます。当然分かりにくいところは、理解出来ず授業が終わってしまいます。自力の勉強法を学校では教えないので、わかり難いところは理解出来ないまま、記憶で凌ぎなさいという授業になります。こういう勉強を長く続けると、段々と学力は下がって参ります。 
また、 
2) 大学入試手前の過去問を10年〜20年分解く、量重視の授業と、じっくり腰を据えて2年〜3年分解く、理解重視の授業を比べます。知識の身につき方という点では、後者の方が格段に優れている。群を抜いて力がつきます。身につかない知識を大量に振り回しても、何の知恵にもなりません。他人から見て立派に見える姿と、学問を本当に修めようとする姿は、とても異なるものです。 
錯覚商売に引っかからない為にも、この認識を親御さんにも持って頂きたいのであります。 
簡単に申し上げれば、思考が確りするとは、悩んだ数に比例致します。すべき苦労をしていない生徒には、汗を掻いてもらわねばなりません。皆様は人生を振り返り、自らの得意・不得意を思い出されるならば、私の申し上げていることが強ち間違っていないことも容易にご理解頂けるのではないでしょうか。 
効率優先の目先だけの格好のよさは、焦りのある受験生を麻薬のように魅きつけます。恐怖や不安に取り付かれた人間は、考えも無く群れとしての行動をとることが殆どでございます。簡単に言えば、幼さや恐怖は人を、集団としての正当性から目をくらまし、メダカの群れの1匹にしてしまうのであります。それを、直前対策・冬期講習と銘打って、焚きつける輩が多いのも事実です。しかしこのようなとき、本当に思考力のある子は走り出すより、立ち止まり「これで良いのか」と論理的に考えるのであります。この論理の習得こそが、学問の正体であり、人を倒錯と混沌から遠ざける唯一の手段と考えます。ただ、この辺りは注意して見なければならない点を含んでいます。子供たちが、考える為に立ち止まったのか、単に人生における判断を避け、人通りの多い交差点の真ん中で、信号が変わっているのにただ立ち止まり、自らの愚考で社会に脅しをかけ、周りが何かをしてくれるのを待っているのかは、紙一重でございます。 
親御さま方、以上を念頭において塾選びをしてください。
忘れに対する対策 大手個別指導塾では、「忘れ」が起こったところの範囲を、またゼロから教える、というスタンスでしょうか。再びゼロから教えると、一度目と、忘れてまたゼロから教える二度目で、ひとつのことを教えるのに2倍の時間を使うことになるでしょう。もし普通の教材を使って忘れた個所の復習をしようとすると、前に習ったのと「同量の時間」がかかります。例えば、ベクトルの完成に1ヶ月かかったとします。しかし生徒のベクトルに対する理解が半年後に何事もなかったかのように消えたなら、再復習には又1ヶ月かかる事となります。果たして3年生の貴重な時間にベクトルだけに1ヶ月かかりっきりで良いのか、1年の内2ヶ月をベクトルに取られて受験が成功するのか、予習はどうするのかという身動きのとれない状態となります。故に普通の個別指導塾は「典型問題」とかいう形で復習をいい加減な形でやり、または苦手個所を見て見ぬ振りを致します。しかし、誰でもが陥るこのジレンマを塾のシステムに組み込んでいます。例えば国公立理系私立医学部ですと、2時間15分の授業時間を2つに割り、1つを苦手個所の復習、もう1つを予習に充てることが出来ます。勿論、そのとき行なわれている予習箇所が、生徒が自力で出来る場所であるときには、そちらを全部宿題にまわして、復習充てんの授業をおこなうという形も良く取ります。基本は予復習の複合、必要に応じて重点的に復習という複雑な芸当をやってのける為に能力の高い名大生が必要です。また予復習を自由に割り振れるような教材も必要であります。他の塾では真似の出来ないサービス(同時併走プログラム)を提供致します。
名古屋大学攻略完了 名古屋大学の工学部機械航空学科の偏差値について簡単に説明を致します。 
この学科の偏差値は64です。この64とは東工大の機械・航空まであと1ポイント、京都大学工学部物理工・愛媛大の医学部まであと3ポイントという数値です。 
名大攻略を塾の目標として掲げて参りましたが、平成28年この夢もかないました。 
名大合格発表の翌日、合格した生徒のお母さんからメールをいただきました。 
その文章をここに掲げておきます。 
私が何かを申し上げるより、その方が正鵠を射ていると考えます。 
 
いつもお世話になっています。 
名大の合格発表でした。おかげさまで機械航空に合格することができました。本人よりも私の方が、安堵と嬉しさがいっぱいという感じでした。1年間、授業だけを受けに予備校へ通い、自習はほとんど大学の図書館か自宅という生活でした。友達も作らず一人黙々とやっていたので、精神的な面で心配はありましたが、本人はこちらが思うほど苦ではなかったようです。 
センター試験が終わり、二次試験の講習が始まった頃、私にこう言いました。 
「名大物理を受けているけれど、正直この説明でみんなわかるのかな?って思う。はっきり言って、この講習を受けるより一真塾のテキストやって、T(講師の名前)さんの説明を受けている方がよっぽどよくわかるよ。今まで他で習ってなかったからわからなかったけど、塾を辞めてから、塾の授業の凄さがわかった感じがする」と。模試や私大入試でも、解けなかった問題は一真塾のテキストを参考にやり直しをしていたようです。 
直接かかわることは無くても、今年もしっかりご指導いただいていたように感じます。本当に有り難うございました。機会があれば、Tさんにも名大の後輩となれたことをお伝えいただければと思っています。(以下略) 
以上がお母さんからのメールです。 
 
後日、私の方から合格祝いの電話をしました。 
その折、お母さんはまず「世の中には全く人の話を聞かない男がいるとわかっただけでも、うちの子には財産でしたわ」と言い放ってくれました。 
このお母さんの「全く人の話を聞かない」という発言は、一真塾の教材について「そんな古い物(1970年製の教材)をやるのではなく、うちの子は難関大をうけるのだから、今すぐ最新の問題をやれ!」と、怒鳴りこまれたときに、私が「やって欲しければよそへ行け」と答えたことに由来します。一真塾はいつもこんな人間関係です。 
 
この後の一真塾の目標については○○大学攻略という目標は立てずに参ります。 
このサイトの写真、名大攻略の後についております『名古屋大学』のバスの写真は塾の裏で写真を取りました。撮影用のデジタルカメラの購入費用と5分ほどの時間で出来ました。 
しかし、『東工大』若しくは『京大』行きのバスの写真をこのサイトに載せることとなると、過分の費用と時間がかかります。そんなことで時間を潰すより、教材を直す方が塾としては皆さんに喜ばれる仕事であります。 
ゆえに○○大学攻略という目標は、当面立てずに参ります。
赤ひげ先生 難関大学を目指す為に一真塾の門を叩く生徒がいます。 
そして、もうひとつ。 
「うちの子は不登校をしました。中学の数学が…。何とか2、3年で高校の数IAまで、受験で受験科目として使えるようにしてもらえませんか。化学も同様です。看護の仕事につかせます」といったような仕事も結構して参ったのであります。 
こういう難易度の高い仕事を受けてきたからでしょうか。 
私は『赤ひげ先生』と呼ばれることがあります。 
私はこの『赤ひげ』なる時代劇を見ておりませんので、以下は憶測の話としてお聞きください。 
この『赤ひげ先生』とは、『困ったときに何とかしてくれる先生』という意味ではないかと推します。この『何とかしてくれる』というのは、単に『頑張る先生、生徒にやる気を出させる先生』といった見た目のよさ、人気取りの話では無く、『具体的な方法論として何とか出来る方法をもっている先生』という意味だと思います。 
先生の立場から見て生徒の学習意欲はあればある程よいです。 
しかし、意欲のある生徒にただ問題を解かせ、わからなかったところを教えてやれば良いかというと、そうではありません。きちっと大学に届ける技術、方法論が必要となります。 
意欲が無い生徒も同様であります。 
意欲が無い生徒に、心のありよう精神論だけ説けばよいか、というとそうではありません。きちっとした方法論をもってあたらねばなりません。 
つまり、塾という仕事は、精神論とは全く別に、勉強が出来るようになる為の方法論をもって臨むことが必要です。 
今現在、親御さんを一番に悩ませている子供たちの学習意欲の低下は、何も今初めて起きつつあることでは無く、20年前から少しずつ増えてきたお話であります。 
そう珍しい話ではありません。一真塾は当時から苦い思いをしながら、あれやこれやと対策を立てて参ったのであります。その内容がこのサイトに公開されていることであります。 
教師という仕事は30代40代の20年間に基本的なひと通りの仕事を覚え、50代で初めて先生と呼ばれるものであります。50以下は書生の扱いですから、やっと私もひと通りの仕事が出来る年齢に達したということになります。 
当塾、現場の講師たちは、サイトで公開の通り、名古屋大学の学生、20代であります。 
彼らには、旧帝大生としての成功体験、自分たちが正しいと思ってきた勉強の仕方や、勉強の意欲、人間関係に対して色々な思いがあります。しかし、その思いを生徒にいちいちぶつけ、言い合いをしていては、話が全く前に進まない。講師がよくしたいと思って注意したことも、出し方によっては悪くなることもあります。それは私が20数年前、講師になったばかりの頃と全く同様であります。私と同じ失敗を彼らにさせる訳にはいきません。私は何よりも生徒に勉強をさせたいのです。昔も今も。その為には、現場の講師たちには理解が出来なくても、私の知恵・認識にあわせてもらいます。 
故に「ここは私の指示通り、生徒を教え導いてください。これで必ず学力はつくようになります。勿論、皆さん講師を指揮・指導する以上、その責任はすべて私が取ります。皆さんに責任を負わせることは致しません。私にあわせてください。」となる訳です。 
私、塾長の知恵が現場に生きるも死ぬも、それは塾というより、会社としての経験・知恵の蓄積とその運用の仕方に尽きると考えています。「何だうちの会社と同じじゃないか」と思って頂けたら幸いです。塾であろうと会社であろうと、早々に変わりがある訳ではありません。 
あえて踏み込んで申し上げるならば… 
世の中で起きることはすべて単発の何のかかわりも無いがらくた問題の集まりと見るのか。そうでは無く、世の中で起きていることのひとつひとつは、それぞれが時代を経てかみ合って起きているのか、昨日起きていることが今日の事実に繋がり、明日に影響を与えていると考えて、会社を運用しているのか否かの違いだと考えます。 
簡単にいえば、「ラッキー」「結果オーライ」「うまくごまかせた」「俺(わたし)的には」を全くせずに会社を組み立てたか否かの違いが質の違いを生んでいると考えています。 
私の経験を、ここ一真塾で活かしていくという具体的な意味、ご理解いただけましたでしょうか。 
勉強する気力の無い生徒全員をきちっと面倒が見えるとは申しませんが、かなりの対応力はあると思っています。
教え方を公開しておきます。 生徒には、こうやって教えてください 
 
当塾の教え方についての詳細、私が名大生講師に頼んでいる授業の仕方・内容をサイトに加えました。上に立つ者が人をどう扱えば、よい仕事が出来るのかの詳細であります。凡そ仕事にしても家庭にしても、苦労して来られた方に役立つようにと願い、作りました。世の中を憂う声は、いつの時代も沢山あれど「解決」に繋がる端緒を実務家として示したものは皆無に等しく、これでも心を痛めておったのであります。うちの塾が栄えることと、日本の社会がよくなることと、あなたはどちらを選ぶのと聞かれれば、私は迷わず後者を選びます。それほどに教育は国の宝であります。子供たちは、甘やかすのではなく、大人になったときに困らぬよう大切に育てる必要があります。正しいことを言えば角が立ちます。言われた人は腹を立て、私との付き合いをお断りになるかも知れません。しかし、それを押して意見を言ってこそ、発言の重みもあろうというものでございます。そのときは恨まれても、正しい意見はいつかは気がついて頂ける。私はそれで十分であります。「あの塾評判悪いわね」という噂を耳にしたら、「ああ、あの塾長、真剣に仕事しているな」と思って頂けたら幸いであります。 
こんなお話から参ります。 
他人の真似をするだけのアホウを怒る人間はいない。自分の周り、右を見て左を見て、他人に怒られない行動だけをつまみ食いする人間を見れば、それを非難する人はいない。呆れて非難する気持ちにもなれない。しかし、私は違う! 「人はこう言うけれど、果たしてそうだろうか」とか、「本当はこうあるべきではないか」ということを常に考える。 
人がしていない、人がしたことが無い、つまり、人の足跡のついていない大地を進むことは、地獄である! これを疑う者あらば、獣道すらない山奥を全力で駆けてみられるが宜しかろうと存じます。走るどころか、半歩も前に進むまいと思います。私はそれでもここまでは出来た。ここまで辿り着いた。道は未だ半ばでございますが、皆様から沢山の知恵を頂いた。次の世代は、ここからお願いしたいと思っておるのであります。 
私のしていること、しようとすることに、意見のある人もいるでしょう。私のして参りましたことは、10代20代の若者が御託を並べられるような、ペラッペラな物ではございません。それが私の全てをなぎ倒す剣の部分、この塾が寺内貫太郎一家と揶揄される部分でございます。自分頭で理解出来なくとも、納得がいかなくとも、私が青年の頃悩んだ幼稚な所で立ち止まるのではなく、その部分は我慢してドスを呑み、私に従い、私を受け入れた部分から広がる、広大な世界で悩んで欲しいと願っています。人の知らない、ちょっとしたお得情報で塾を遣るつもりは無く、通う生徒は私の辿り着いた所を良く学び、そこから次の世代としての子育て・教育のあり方を模索して頂きたい申しておるのであります。 
人生、本当に困ったときには誰も助け来んのでありまして、そんなときは、自分がそれまでに習った知恵を目の前に並べてみて、どれが使い物になるのか、首をひねり、出来ることに順位を付け、その通りに粛々とするしかないのであります。己が試練に立ち向かわねばならぬとき、それまでに己が習った財産の全てをひっくり返し、「何とかなる、新基軸だ」と言うのはいただけません。思いつきには、思いつき程度の効果しか期待出来ないのであります。偶然の輸贏(ゆえい)に身を委ねる大半の人間は、進歩の感じられぬ過ちを何度も繰り返す内に人生を閉じるということを、肝に銘ずるべきであります。自分が本当に助かりたい、問題を解決したいと思うのであれば、それまでに習ったことを指折り数え、総動員して凌ぐしかないのであります。数学も同じでございます。自らが詰まった問題というのは、全く新しい知識に答えを求めるのではなく、これまで習ったことのある知恵の中で、自分が使いきれていない物を捜せと、問題が初学者に命じているのであります。 
ちまたで、受験生の感想として「わかっていたのに…」とか、「解いたことあるのに…」という話もよく聞きますが、受験で点差がひらくのは「難しい問題が解けなかった」ということではなく、大半、日々問題を解いているときに、間違えた問題をいい加減に扱った為に、己の基本的な知識に穴があいていて、その周りを出題されたときに、足をすくわれてただけのことであると認識すべきであります。ここをでございますね…。商売のうまい人は、大東亜戦争敗戦のときのように、「日本軍の兵士は優秀だった。誰も間違っていない。戦争に負けたのは、上層部が腐敗していたからだ。我々進駐軍は、昔も今も一般兵士を尊敬する、身方である」。そして、「だから、先に入試問題をやれば、こんな結果にはならなかった。君たちは騙されたのだ。」とやる訳であります。大半の人は、自分さえ非難されなければ、「そうだ!そうだ!」と迎合するのでございますが、「本当にそんなことで良いのか」を考えるのが、個別の大学受験一真塾でございます。 
それでは、少々長い文章でありますが、お読み頂けたら幸いであります。 
学問や論理を目指すにつけて、どうやって筋道を立て、組み立てるのか、そしてそれをどうやって生徒に示すべきかを記します。 
これより教科は便宜上「数学」で統一します。物理・化学における理論や、英語における文法の学習にも同じく通じる内容なのですが、いちいち科目名を全て並べても読みづらくなるだけです。代表として数学を挙げるだけですので、数学・物理・化学・英語の話をしているとお考え下さい。 
数学において、解けなくてつまった問題というのは、全く新しい解法・知識に答えを求めるものではありません。これまで習った知恵の中から、使いきれていない物を捜せと、問題が初学者に命じているのであります。数学において「わからない」という時は「何をすればよいのか分からない」のではなく、「習った知識からどれを使えばよいのかわからない」のです。言い換えるならば、WHAT(内容の分からない何か)ではなく、WHICH(内容の分かる物のうちのどれか)を求めて困っているのであります。 
WHICHを探す具体例を挙げてみましょうか。分かりやすくする為、高校での問題ではなく、敢えて中学校2年生の図形の問題を取り上げてみます。三角形の合同を証明する問題です。合同……大ざっぱな説明ですと、要するに2つの三角形が全く同じなことを証明するということです。合同の条件は3通り、すなわち「三辺の長さが等しい」「二辺の長さ・その間の角の大きさが等しい」「一辺の長さ・その両端の角の大きさが等しい」がございます。角の大きさや辺の長さが現れます。逆に、それ以外は出てきません。ということは、「角」で解くのか、「辺」で解くのかしかございません。問題文をよく読みます。「角」の条件(或る角の角度)が書かれているとします。そこに目をつけて「角」から考えてまいりましょう。次にすることは、習ったことを思い出していき、並べることです。錯覚・同位角・対頂角・内角・外角……。こんな感じです。問題文や図に出てくる角が、並べた数種類の角のどれに該当するのか考え、当てはめます。そしてその中から使えるものを選ぶのです。それでギリギリまで考えて→計算し別の角の大きさを出す→別の角を利用して合同の証明を試みる→答えに結びつかない。これが「わからない」なのです。このときは、考え方のひとつ手前、詰まった時点の1個前の選択肢に戻ります。じゃあ今度は他の選択肢で行こう。「角」は使ったけれど、「辺」はまだだ……「三辺・二辺とその間の角・一辺と両端の角」、この条件を使うにはどの角の大きさを求めれば……。この様に選択するのが、数学に要求される思考であります。勿論、「二辺とその間の角」の「角」を知るには、先に検討した錯覚・同位角……を順にまた当てはめていく必要があります。先の大分類「角」「辺」は、軸をおいて解き始めるポイントとお考え下さい。簡単に言えば、筋を追った「見当」です。生徒に、全く目新しいものはなく、誰でも持っているものを丁寧に確認していく作業であります。数学とはこう考えるものであります。 
この「見当」の試行錯誤こそ、応用力をつけていく上で初学者の力の源となります。 
現場の運用に当たっては…… 
これまで習った単元や、そこで見てきた知識を生徒に言わせ、生徒自身の力で拾わせる手伝いをすることであります。生徒が並べた簡単な「角」などの短い言葉から、一緒に繋がった思考を芋づる式に引き出してもらうのであります。塾における日々の学習は、この様に流れるような筋道を頭の中で作る練習であります。実演のさせ方ですが、これまで習った知識・用語を、生徒に思いつくままに頭の中から拾い出し、言ってもらいます。拾い出す事により、持っている知識を生徒に確認させるのです。そして出てきた用語の羅列を、先生がボードや紙に大きく書いてみせるのです。教室の黒板に太字で書くように、持っている知識の中でどれが使えるのか、視覚としてはっきり致します。勿論、最近何度も間違えた箇所・忘れがちなことも、問題を見直す形で思い出し、口に出してもらいます。それらの中の「どれ」を使ってこの問題を解くべきなのか、考えて選んでもらう。それでも詰まる様なら、拾い出してもらった選択に戻して、生徒に新たな選択をしてもらう。練習問題を解くのはこの繰り返しの作業であります。 
この作業の目的は生徒が論(理論・筋道)を立てられるようにすることです。生徒の「論」は不完全であっても一向に構わないと考えて下さい。それよりも、論理的な話を生徒が初めてしようとしておるのですから、そこは教師の力で、拙いところは補い、向かうべき結論に近づけてあげる様に努力して頂きたいのであります。生徒が拙いながらに考えた結論(解答)は、良い部分、悪い部分を示してあげますと、生徒の思考・論理が明快になります。そして、勿論、拙いながら独力で立論した結論と、後に諭されながら導いた結論とを比較させてあげる機会。これを生徒に持たせるべきであります。そして、総括。(1)色々考えたけれど、それは私が説明をこなしていなくて、遠回りしただけだったのかも知れない。(2) もう少し、この文言を注意していたら…という言葉がポツリポツリと出るのを、聞くともなしに聞いてあげるのが良いです。(1)(2) でございます。意地の張り合いを避けた環境で、結果比較に導けば生徒は必ず考える力を持ちます。 
これの大事なことを申し上げます。この形の授業は、生徒がやったことを基にすべきです。それよりも前へ、教師は一歩も出てはいけません。生徒自身の考えを修正なり延長なりするのに、最大限のご留意を願いたいのであります。先生は動かずにいて、頭を全力で働かすのが仕事と心得て下さい。 
この一連の思考方法を何かに例えるならば、ペントミノというパズルがよいと考えています。右下の写真がそれにあたります。色々な形の積み木を集めて、長方形や正方形に埋め込む平面パズルであります。これと数学は似ています。ある程度まで適当に当て嵌めていくと、最後にはピースが嵌らず余ってしまいます。つまりは失敗であります。この局面で生徒が取れる行動は2つ。(1) 「最初からやり直し! 次もう1回!」とすべて崩して振り出しに戻してしまうのか。(2) それとも出来なかった最後の1手をじっと見つめ、それから1手戻して「ここからうまく出来ないか」→「出来ない」、それで出来ないなら2手戻して「ここからうまく出来ないか」→「出来ない」…と順を追って戻していくのか。自らの行なったことを無駄にせず、現状から確実に進める所から行動すること、これが論理を学ぶという意味であります。勿論、何の理屈も無く「最初からやり直し!」の後、たまたま今まで思いつきもしなかった「新発想」(行き当たりばったり)で出来上がることもあるでしょう、小さなパズルなら。しかし、そのやり方で数学を進めるのは危険です。運に身を任せているに過ぎず、論理的な思考を身につけたとはいえません。今日解けたという事実が、明日も解けるという未来へ繋がらなければ、今日自体が無駄であります。学問的に申し上げますと「最初からやり直し!」には、大体誰がやっても同じことが出来るという再現可能性がありません。解けたという事実を残すのみで、再現することも、「私はこう学びました」「君もこう解くと正解できるよ」ということが出来ないのです。つまり、次は必ず出来るという知恵の部分が身についていないのであります。変な言い方ですが、先生や友達に解き方が説明できないのに、時間が経ち頭が雲がかっている未来の自分に説明できる筈が無いのであります。 
あまり論理的な話ばかりでは、息が詰まる方もいらっしゃるかと思いますので、先の理論の日常、お通いの生徒の解き具合の実際を掻い摘んで申し上げます。ボードに言葉を拾い出してもらった知識に頓珍漢なものは無く、また選択それ自体が間違っていることも非常に少ないです。それよりもですね、選択したものが一見巧くいかないときに、他の選択肢に目移りする事が懸念材料です。目の前にある問題に対し、自分で拾い出した「選択」を適応させる力が落ちているんです。つまり集中出来ていないから回答に達しないという事例が圧倒的に多いといえます。何だ、「わからない」と言っても「90%以上出来ているではないか」が印象であります。 
この結果比較の具体的な方法について述べておきます。 
たいていの生徒はですね、答えに辿り着きますと、集中力が極端に下がるのであります。マラソン選手がゴールについた後のように。 
筋道がどうだったか等、興味が無いようにも見えます。これをどう扱うのかがとても大切なのであります。皆さんも生かせるようにと、そこを引き延ばして書いておきます。勉強において「答え」が出るのは最終的なゴールではありません。習った知識を拾い出し、その中から選んで発展させ答えに辿り着いたものと、その前の間違えた答えや、何かの考え違いで詰まっていたこととの比較。この比較を必ず論理的にさせ、総括しなければ、「解けた」という事実しか残らず、教師のすべてが徒労に終わります。ここをうまく扱うのが教師の本分でございます。 
具体的には個々の詰まった問題がある程度溜まってきて、集中力を欠いているときなどは、たとえ授業の途中であっても…… 
(1) 何がわからなくて詰まり、 
(2) 調べたり・助けてもらったことにより何がわかり、 
(3) それを適用すると、問題文のどこが以前と違って見え、 
(4) 前と比べて、結論がどう変わったのか、何を結果として得たのか。 
…という一連の流れで、生徒に自分の言葉で説明させてあげて下さい。勿論、子供の拙い表現を補い・助けながらでございます。そして、一連の思考として子供が話せてから、必要であれば、はじめて解き直しをさせるのが良いです。解き直しより論理・思考の習得を優先させるのが方針でございます。それをせずに解き直しだけを指示致しますと、誤答の数は減ります。最初の解きなおしでは20問、2回目の解き直しでは12問、3回目は5問。同じ問題を繰り返し解くほど、間違えはだんだんと減っていきます。しかしそれで本当に理解出来たのか!。単に答えを覚えただけの場合と区別できなくなるのであります。つまり、解き直すだけでは生徒の理解が正当か否か、判断出来なくなってしまうのであります。正解の結果そのものだけでは学力・学問ではないのであります。 
勿論、理系の学問の中には、思考・計算・記憶という3つの柱があります。なので、ここまで重点的に述べてきたこととはまた別に、対策を立てておく必要があります。複雑な計算を要する問題や、煩雑な知識の想起・整理を要する問題ですね。例えば計算ならば、計算練習を1日10分するというのもよいでしょう。記憶は化学に付いて離れない問題でございますが、どの単元が内容の理解で論理的に解くところか、どの単元が記憶でゴリ押しするところか、そして記憶するならどの範囲までか。きちっとこちらで見極めて指示を出しておく必要があります。 
議論に馴れていない子供の場合は、まず最初に手本と申しますか、「論理的な考え方・解き方とはこういうものですよ」を先生の側で3〜6ヶ月からふんだんに見せてあげて、それから上記の手順となります。 
仕事にしても家庭にしても、苦労してこられた方に役立つように、心を込めて作りました。 
各位の健闘を祈ります。
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